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おさかなにっき

オクラもいろいろネクラもいろいろ

育児は育自




わたしの話。

子供を肯定しよう、なんでも受け入れよう、大好きだよって毎日ちゃんと伝えよう、子供に誠実に向き合おうって心がけてた。
そしたら辛くなっていた。
なんで私はこんな苦しいのかって考えた。
気づいた。


自分を信じてない。自分が嫌い。自分と誠実に向き合ってない。価値判断の基準が自分以外にある。自分が無い。


やっと気づけたんだ。これまで生きてきて、やってしまった数々の失敗や常に迷ってる感、所在なさ、生きづらさ、ぜんぶ説明がついた。

圧倒的に自己嫌悪してて、
自意識>>>>>>>>>>>>>>自我


なんで自我がちっちゃくなっちゃったのかは、想像つく。私の母親も自我がない人だから。だからと言って自意識こじらせてる感じでもなく、何にも考えてないのかなという印象。。世間とか他人の目を最優先にして、自身がはどう思うかを全く考えたことがないようだ。そういう母親に育てられ彼女の価値観を植え付けられてるから、まあ残念だけどしょうがなかったと思う。


自己嫌悪に関して。私は母が願ったような子供じゃなかった。母の願いは私の名付けに込められていたけど、私は正反対の性分だった。小学生の時に名付けの由来を聞いて発表する課題があったけど、気まずい思いをした。自分の名前を書く度に、人に名前を漢字でどう書くか説明する度に、違和感と 後ろめたさでいつも顔が苦笑いになった。
他人からしてみたら名前なんてそれがどーしたって話なのは分かる。実際にうちの母だってそんな事気にすることないでしょって言うだろうなあ。母には悪気はない。でも悪気の無い言葉の奥の、その言葉を発せさせる、母も気づいて無い本心に私はしょちゅう傷ついていたと思う。

まあ原因はそれだけじゃないし、母がなんでそうだったかとか考え出すとほらやっぱり誰も悪くないんだし。


私は子供に同じことしないようにするだけ。簡単なことじゃないけど。

自分を信じて、(子供も信じて)、自分を受け入れて、(子供も受け入れて)、自分がどうしたいかという事に誠実に向き合って、自分のために生きるだけ。


こんな大事なこと気づかせてくれた我が子には感謝の気持ちしかない。私にとって救世主。彼を信じてどんなボールでも受け止めていくことが恩返しになると思うから、やはりまずは自分を受け入れること。かしら。


こう思う一方で、私がまだ生きづらさで苦しんでいた何年も前、私が傷つけたり迷惑かけた人の事を考えずにはいられない。すごくこわいから書かないけど、今幸運にも生かされてることに感謝するしかない。。どうか私に関わって傷ついた人が今幸せに誰かと生きていますように。祈る。


なんか悲劇のヒロインぶってたりいいこちゃんぶってたりつまんないオンナだな〜こんな自分が嫌いです大好きです。